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木野かほり キルト展



木野かほりキルト展
 2004年2月26日(木)〜3月2日(火)
   12:00−20:00
(最終日19:00)
木野(木瀬)かほり 紹介
1923年 鳥取県米子市生まれ
1939年 女学校在学中に中国大陸に従軍
1948年 帰国
1990年 アメリカ全米キルト展で第2位を受賞
現在、町田市在住
小裂古裂とともに
 幼い頃から針を持つのが好きだった私のことを、父は「この子は大きな布を小さくしてしまう」と言い、母は「小さい布を大きくする」と言っていたそうです。反対の言い方なので、どちらも正しい見方でした。
 ともあれ、以来小学校4年から「裁縫」の授業でふきん・枕カバー・刺し子模様の雑巾と習い始め、女学校では日本刺繍、フランス刺繍をはじめ、難しい繕い物(カギ裂き・焼けこげ・すり切れ等)や着物の仕立、袴など、家庭の主婦に必要とされている「裁縫」を一通り修得したものです。 女学校時代、勉強は好きではありませんでしたが、「裁縫」の時間だけはうれしかった事を覚えています。
 戦が始まってまもなく、私は戦地の陸軍病院に従軍しました。日本から送られてくる慰問袋の中に色とりどりの着物の切れ端が入っている事があり、それらで肱つきや小さな袋、座布団などを作って楽しみ、それを兵隊さんにあげたりしていました。(これらの着物の切れ端は、当時の娘さんたちが晴れ着の袖を切らされ、銃後の心意気を示させられた、切ない心が込められていたのです。)
 戦後引き揚げてきて数年ぶりに見る故郷の町は、そこに住む人も町並みも変わっていないのに、まるで知らない町のような印象でした。
 シルクロードから東洋に初めてきたマルコポーロのような気持ちで町を見ていると、家々に干してあるふとんや人々の着ているものなどに、初めてのはずなのに何か懐かしく、思わず手に触れたくなる、そんな感じのする《何か》があるのに気づきました。
 そうです。それが『紺絣』でした。藍染めの濃いの薄いの………。紺と白の単純な色彩から織り出される柄の多用さ!モダンさ!長い間、北京や上海などで中国独特のあの色彩を見てきた目には、この『紺絣』は本当に新鮮に見えました。
 それ以来古い絣やいろいろな古裂を意識して集め始めました。全国各地に帰国された陸軍病院時代の友人にも、協力をして頂きました。そしてそれらを一人で楽しむだけでなく、他の方たちにも見て頂くにはと、壁掛けを作ったところ意外にきれいになりました。裂だって『ボロ』にされたり、しまっておかれるよりうれしいだろうと、せっせと継はぎをしていろいろなものを作るようになりました。
 刺し縫いの図案は、日本には古来伝わる優雅な模様がたくさんあり、それらの模様の意味を作品の図柄に合わせて用いています。空には沙綾形(雷文)を、海には青海波を、花には立湧をというように…。
各地から届けられた古い衣類から私は多くの事を学びました。女たちの手によって伝えられた、継いだり接いだり刺したりをただの“繕い”ではなく、見た目にもきれいにしてきた『ものを大切にする心』と『技』を継承したいと思っています。